不思議な話 市川市界隈

先日、市川市へ出かけたので、実際に訪れたところを含めて市川市の伝説をいくつか紹介します。

●涙石(真間山 弘法寺)
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涙石と呼ばれる不思議な石は、真間山正面の仁王門に通じる階段の、下から27段目左にあります。
江戸時代のこと、作事奉行・鈴木長頼は、日光東照宮の造営に使う石材を、伊豆から船で海を越え江戸川を通って運ぶお役目に就いていた。
その途中、市川の根本あたりにさしかかったとき、どうしたことか船が全く動かなくなってしまった。
そこで長頼は、弘法寺に仏縁ありと感じ入り、石を国府台で降ろして、お寺の石段に使ってしまった。
その責任を幕府から問われた長頼は、この石段で割腹して息絶えた。
それからというもの、この石段のひとつはいつも濡れていて、それは長頼の血と涙であるとも言い伝えられている。

●夜泣き石(国府台3-9 里見公園)
木内ギャラリーに向かって歩いているとき、ふと道路脇の「国府台」という街区表示板が目に付き、国府台といえば北条と里見の合戦が行われた場所と思いついた。
以前、本で里見公園の夜泣き石の話を読み、国府台について少し知っていたからです。
この夜泣き石には、永禄7年(1564年)の第二次国府台合戦で討ち死にした里見弘次の、末の姫にまつわる伝説があります。

父敗死の報せを受け、その姫は父の霊を弔うため安房の国から国府台の合戦場まで遠路はるばるやってきた。
身も心も疲れ果てた姫は、戦場の残酷で凄惨な光景を目の当たりにすると、恐怖におびえ父を失った悲しみから近くにあった石にもたれて幾日か泣き続け、衰弱の果てに息絶えた。
それからというもの、夜な夜なこの石から悲しい泣き声が聞こえるようになったと言われています。

実は、弘次は齢十五の若武者というから、十二、三歳の末の姫というのは年齢的に釣り合わない。
姫が来たとするなら、弘次の許嫁あるいは弘次をお慕いしていた安房周辺諸城の姫かもしれませんが、伝説に出過ぎた考証は不要で、
伝説はあくまでも伝説であり、話を語り継いできた土地の人々の想いをそのまま後世に伝えていくべきだと私は思います。

●八幡の藪知らず(八幡2-8)
JR総武線 本八幡駅北口から少し歩いた市川市役所の向かい側に、玉垣に囲まれた小さな森があり、そこが「藪知らず」と呼ばれています。
その昔、徳川光圀公がこの籔の中に入ったところ、なかなか外に出ることができなかったという話や、みだりに立ち入ると祟られるという伝説が残されています。

参考:市川市観光協会『市川市観光名所一覧』http://www.ichikawa-kankou.jp/ichiran.html
弘法寺縁起書

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この記事へのコメント

バショウカジキ
2013年02月20日 07:24
市川の街。何か歴史的な重みや厚み、独特な風情を感じますよね。
貴重なお話をありがとうございました。

みすず
2013年02月20日 09:29
なかなかおもしろいブログでした。日本各地にはさまざまな伝説がありますね。みすずは大好きですよ。いろいろな場所に行き、その場所の言い伝えを知り、思いを巡らすのはとても素敵ですね。市川市にも行ってみたくなりました。
2013年02月20日 21:06
真間の手児奈は悲恋伝説ですが、手児奈霊神堂の隣にある池は真間の入江を今なお留める唯一のもので、
周囲には片葉の葦が生えているそうです(今回見落としてしまった…)。
片葉の葦は日本各地の七不思議のひとつとして、よくとりあげられています。

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